スト値の壁を、乗り越えて|前編:ゴボウ、爆誕

「私、初めてなんです。」

 

俯き、美しい手先で机の上に置かれたリゾットを取り分けながら、彼女は言う。

 

「こうやって、ナンパされた男の人に付いてきたの、始めてなんです。」

 

なるほど。

聞くところによると、東京に住み始めて3年になる彼女は今まで多くのナンパをされてきたようだ。確かに、儚さと美しさを兼ね備えた彼女の美貌ならば「毎日ナンパされ続けて困ってる」と言われても「確かに」と頷いてしまう。

高身長の超えるイケメンから、白金に住む金持ちまで。今まで数多くの男が彼女に声をかけ、そして敗れ去った。

 

しかし、あろうことか。

チープなイタリアン・レストランのガラスに映る僕達の姿を見ながら、思う。

彼女を始めてナンパで連れ出したのは。

高身長イケメンでも無ければ。

金持ちでも無ければ。

 

風呂上りで、上下エアリズムのクソダサい恰好をした、無精髭の目立つ30代の僕だったとは。

 


それは畜産のように働いた、夏の日の夜だった。

終電ギリギリまで粘って働いた日の帰り道。山手線で酔っぱらうサラリーマンや若い男女が羨ましく思う。自宅に付き、額にコッテリと塗り着いた脂汗を落とすため、とりあえずシャワーを勢いよく浴びる。

雑多なシャワー室を出て、冷蔵庫を開ける。冷えているビールをひとつ取り出し、浴びるように飲み干す。

「・・・・足りない」

夏の暑さのせいなのか、頭をフルで使ったせいなのか。僕の身体は、2本目のビールを求めていた。

少しだけ悩む。30代のビール腹を防ぐ為に、平日は1本までと決めているが、、、、まあ今日くらい神様も見逃してくれるだろう。(こんな事を続けているせいか、若干ビール腹になってきたような気もする。)

 

しかしあろうことか、冷蔵庫の中にビールは既に無かった。ビールの神様は相当、僕の事が気に入らないらしい。

寝るか。買いに行くか。少しだけ考えたが、やはりもう一本飲みたい気持ちが勝っていた。買いに行こう。

せめてドライヤーとシェーバーくらいはしようかと思ったが、もう疲れ切ってるので諦める。適当に服を着て、支度を済ませる。クロックスを出すのも面倒なので、履いてきた革靴をそのまま履いたとき、ふいに全身鏡に映った自分の姿が現れた。

・疲れ切った浅黒い顔

・伸びた無精髭

・風呂上がりのボサボサの髪

・ベージュのエアリズムTシャツ

・エアリズムステテコ

・なぜか靴だけ革靴

 

え、だっさ。

なんだろ、ちょっとゴボウに似てる。

疲れているせいか、いつもより強い30代の風格。いくらなんでもこれで外出は・・・・・という気持ちが胸をよぎるが、靴も履いてしまった。悲しい気持ちを踏む潰すように、最寄りのコンビニへ向かって歩き出す。

 


蒸し暑い昼間に比べ、夜の空気は多少マシに思えた。良い感じに一本目のビールが周り、軽やかな足取りに鼻歌を混ぜながらコンビニへ向かう。

すると、ふと目の前に男女が。タクシーを拾おうとしている女性と、それを制止しようとしている男性。職業病なのか、つい女性の顔を見てしまう。うーん、スト値2.4。残念。

 

この男性も、とっととスト2.4のババアなんて放流してストに切り替えれば良いのにと。心からそう思う。ほら、まだ街には若い女の子がたくさん・・・・

ふと目の前を見ると、前方に女の子が1人で歩いている。

後ろ姿だけで顔の判断が出来ない。

ただ、見るからに可愛いオーラが出ている。

丁度、彼女とすれ違った男性2人組の視線が、1.8秒程、「釘付け」になっているように見えた。ここまですれ違う男性に凝視されるという事は、見るからの美人だという事だ。

酔っていた脳が。

眠たい目が。

就寝に向けて眠りかけていた身体中の細胞が。

一斉に戦闘モードに改造されていく。

 

彼女との距離は6メートル程、数秒で詰められる。彼女の進む方向を確認する。この先にあるのは、駅の東口。駅に向かっているように見えるが、既に終電の時間は過ぎている。彼女はどこに向かおうとしているのか。

彼女との距離を詰めつつ、頭をフル回転させる。

 

ふと、進行方向にコンビニがあるのを確認する。なるほど、コンビニによってから歩いて帰宅か。このまま入店されると、声をかけにくい。オープンさせるなら入店前だ。考えるより先に身体が、足が動く。

彼女がコンビニに辿り着く前に、声を掛けるしかない。早足で距離を一気に詰めつつも、背後からの不意な声掛けで彼女驚かせないように細心の注意を払う。

 

彼女に追いつき、追い越す。彼女に右斜め前方に出て「人が居る」事を認識させる。左目でチラりとだけ彼女の横顔を見る。美人だ。しかし、今はそんな事を考えている場合ではない。

 

彼女の進行方向に左手を出す。

不意に現れた左手に、彼女が気を取られた後、彼女が僕の顔を見る。

目線が交錯する。その瞬間に声を掛ける。何度も繰り返し、極限まで無駄な動作を絞った声掛け。

 

「お姉さん、ご帰宅中ですか?」

「え?あ、はい。」

 

彼女が答える。声色が若い、バイト終わりの大学生か。

「でも、コンビニで金麦買って一人で宅飲みするなら、俺とそこで一杯付き合ってもらえません?」

「え?いや、まあ・・・」

「150円払って金麦飲むよりも、無料でワイン飲む方が良いですよ。ここテストに出ますよ?」

「・・・・ふふ、面白い事言いますね。」

多少の警戒心はあるが、会話がオープン。アナウンサーのような清楚さと綺麗さがある女性だ。なかなかナンパに引っかかりにくい層にアプローチできた事に高揚しつつ、会話をブリッジさせる。

「ちょうど、飲み足りなくて死にそうだったんだよね。まあ、ボランティアだと思って一杯だけお願いします!」

「ボランティアですか。笑」

「30分だけでいいので!」

「んー、わかりました。まあたまにはオジサンとお酒飲むのも楽しそうですし。」

 

まあ確かに30代だが、ここまでストレートにオジサンと言われると少しへこむ。

そして、ふと冷静になる。

コンビニのガラスに映る、僕たちの姿。

そこにはアナウンサーのような美少女と。どう見ても「スト低」としか言えない、ゴボウのようなおぞましい物体が並んで立っていた。

 

しまった。完全に忘れていた。

 

勢いで声を掛けてしまったが、僕は今ゴボウ状態だった。

果たして僕は、この戦いを制する事が出来るのか。

圧倒的なスト値の壁。この壁を乗り越えて、勝利を手にする事が出来るのか。

 

後編ー「ゴボウ、いきます」

近日、公開予定